東京五輪招致を実現!
1898年生まれ・静岡県出身の田畑政治は、1924年に東京朝日新聞社へ入社、1949年に常務へと昇進、1952年に退社。一方、浜名湖で水泳の指導者を務め、1916年に設立された浜名湾游泳協会の創設・発展に貢献。浜名湾游泳協会の創設に携わった経験を活かし、1924年に設立された大日本遊泳協会の創設にも参加しています。1932年のロサンゼルス五輪では、日本代表の監督を務め、“水泳ニッポン”の名を轟かせました。そして1945年に、日本水泳連盟の会長に就任。1949年には日本を国際水泳連盟への復帰へと導いた他、ロサンゼルスで実施されていた全米水泳選手権に古橋廣之進、橋爪四郎氏ら日本人選手を出場させる事に成功。ヘルシンキ五輪・メルボルン五輪では選手団団長を務め、水泳日本の黄金時代を築きます。
また、東京五輪開催の実現に尽力。日系人でロサンゼルスの実業家として成功していたフレッド・イサム・ワダと知り合い、東京五輪の招致に務め、組織委事務総長としてその招致に成功します。その功績は高く評価されており、勲二等瑞宝章やIOC功労賞などを受賞しており、1984年になくなるまで日本スポーツ界の発展に尽力されました。