フジヤマのトビウオ
1928年生まれ・静岡県浜名郡雄踏町出身の古橋廣之進は、雄踏小4年から浜名湖で水泳を始め、6年で学童新記録を達成し、翌日の地元紙に“豆魚雷現る”という見出しで大きく報道されています。浜松二中(現 浜松西高)から日大進学後、1947年8月に開催された日本選手権の決勝で、400m自由形で4分38秒4の世界新記録を達成。当時、日本は日本水泳連盟(FINA)から除名されており公認記録とはなりませんでしたが、スタンドには天皇陛下、皇太子殿下もお見えになっており、片山哲首相からは特別に総理大臣杯を贈られています。翌1948年、ロンドン五輪と同じ日程で開催された日本選手権にて、400m自由形で4分33秒4、同1,500で18分37秒0を記録し、もし日本が五輪へ参加できていれば世界新記録で金メダル2個、銀メダル1個を獲得していました。1949年8月に開催された全米選手権では大会初日から新記録を連発し、水泳大国アメリカより“フジヤマのトビウオ”の愛称が付けられ、国民的英雄となりました。1952年ヘルシンキ大会で五輪初出場も、400m8位と惨敗し、現役を引退しています。